ニュース

世界平和音楽プロデューサー、マイラ・ケイ

留学生からミュージシャンへ。

留学生からミュージシャンへ。

愛する家族をアメリカ・カリフォルニア州オークランドに残して、18歳のマイラ・ケイは遠く離れた日本へ留学生としてやってきた。弁護士になる夢を胸に抱いて。

しかし、子供の頃から音楽が大好きだったマイラは、たまたま知り合った日本を代表するラテンバンドのミュージシャンに誘われ、アルバイトとしてバンドメンバーの一歩をスタートさせる。

「女の子がいないと営業ができないから」というのが声をかけられたきっかけだ。

「立ってるだけでいいから。タンバリン持ってるだけでいいからって言われて、そこからがスタートでしたね。」

しかし、マイラ自身が歌えるレパートリーは、わずか2曲。それでも彼女が微笑むだけで舞台はサマになり、その2曲だけで十分に来場者を魅了することができたのだ。

「でもね、夜が遅いんですよ。当時はライブハウス全盛期だったから、深夜から朝5時ぐらいまでなって。結局、起きられなくて学校に行かなくなっちゃったの。」

 

スカウトされ華々しくデビュー!

スカウトされ華々しくデビュー!

そんな彼女は、「ハーフタレント&シンガー」の走りとして1984年に華々しくデビューする。

「スカウトされて、いきなり東芝EMIからアルバムデビュー!もう本当に思いもかけず、いきなりメジャーデビューしちゃったの。」

1984年1月21日デビュー曲『My Guy』をリリース。収録アルバム『What can I do』も同時発売。

プロが受ける各種オーディションも勝ち抜き、FMラジオでも1位を獲得。

「名古屋の東海ラジオがデビューのきっかけなの。東海ラジオでずっと英語と日本語の本格的なDJをやっていたから。なので、名古屋から火が付いた感じね。」

しかし、あまりにスピーディな展開と、文化の違いにマイラはとまどう。

沖縄出身の母を持ち、彼女自身も沖縄生まれで日本人としての一面もある。ただ、早くからアメリカで育ち、日本の文化や環境とは疎遠だったため、デビュー当時の逸話にしてもハタから見ればとても恵まれた状況にも関わらず、マイラ自身はだんだん違和感を覚えるようになる。

「演歌界の巨匠がいらして、色々な人気歌手を輩出したチームで私も養成して頂く予定だったんです。そして、チャーリー石黒さんのところで、フルオーケストラで歌わせてもらったりもして、当時すごく大切にされたんですね。ハーフっていうことで。」

マイラが得意とするR&Bやソウルフルな音楽は、日本の演歌にも通じるところがある。そのため、演歌界の巨匠による直々の指導が入ったのだ。本格的な養成ということで、東海地区での合宿生活も始まる。

「今思えばそれって普通に修行なんだけど、日本のそういう習慣がわからなかったので、イジメととっちゃったわけ。若い子達が掃除や洗濯って、演歌の世界では普通じゃないですか。それがわかってなかったから『まだ若いのに、なぜこんなことをしなくちゃいけないの。周りのことも知らないし、日本語もあんまりわからないのに、掃除しろとか、朝起きたらいろんな事やんなきゃならない。・・・』そういうのを、全部イジメってとってしまって、「こんな生活イヤダー」って、なっちゃって。。。それである意味、逃げ出した感じになったから、芸能界を干されちゃったのね。」

マイラ・ケイはデビュー当時のことを、サラっと笑顔で答えてくれる。しかし長年アメリカで過ごし、何でも自由に過ごしてきた彼女にとって、この体験は相当ストレスだったのだろう。当時は、まだ今ほどハーフのタレントが多い時代でもなく、彼女は徐々に孤立感を深めてしまう。

 

杉田成道監督との出会い

杉田成道監督との出会い

「そんな感じだったんだけど、ハーフっていうのもあって英語はしゃべれるし、歌も歌えるし、それなりに特殊なものがあったので、色々なところからお声かけ頂いたんです。特に一番大きな転機になったのは『優駿(ゆうしゅん)』という映画に出演させて頂いたことね。」

『優駿』は、フジテレビで『北の国から』シリーズを演出していたことでも知られる杉田成道(すぎた・しげみち)監督が、初めて映画撮影をおこなった作品。マイラは劇中のシンガーとして抜擢される。

当初はバーでピアノをひくだけの役だったのが、撮影に入ると杉田監督にすっかり気に入られ、徐々に登場シーンは増えていく。いずれも本作品に欠かせない名シーンだ。

『優駿』がきっかけで杉田監督の秘蔵っ子になったマイラ。杉田氏が1998年に『陽だまりの樹』という舞台を手がけたときも、ステージ上でナレーション代わりに生歌を歌う大役を得る。

本作品は現代人が幕末にタイムスリップするお芝居で、中井貴一や宮沢りえ、深津絵里や段田安則などオールキャストが出演する豪華な時代劇となった。(敬称略)

しかし殺陣シーンで舞いあがったホコリは、ステージ上のマイラに容赦なく降りそそぐ。
肝心のシーンで歌おうとしても連日セキこんでしまうため、『生ではなく、録音にして欲しい』と依頼する。

しかし、

『録音だったら誰でも出来る。僕が選んだマイラ・ケイなんだからやれ!』

そう返ってきた杉田監督の意気込みと熱意に、強烈な刺激を受けるマイラ。そして彼女は、この舞台を生で演じきった。

「この作品の一番のヤマバは、親友同士が決闘するシーンなの。本当はそんなことしたくないのに、親友を斬らないといけない。そういうシーンで、大事に思っている親友をバサって刀で斬ったその瞬間を、監督はスローモーションで演出されるんですが、そこで私が「Say goodbye~」って歌うから、観客の皆さんもワァってそこで号泣されるんですよ。そうすると歌ってる私も泣きそうになってくるの。あのシーンは今、思い出しても鳥肌が立つほど、すごいの!」

「この作品は本当に素晴らしくって、舞台だけじゃもったいないって思ったから、私は『映像で撮ったらどうですか』って進言したんだけど、監督は『いや。あんなのは生の舞台だから価値があるんだ。映像では駄目だ』って。」

あくまでも「生」にこだわる杉田監督に感化され、それ以降、数々寄せられるテレビのオファーより、マイラは生のライブにこだわるようになる。

「生って『この瞬間』じゃないですか。隠し事も何も出来ない。それがライブ。そのライブの仕事をしているのが、私の誇りなの。」

尊敬する師と出会え、長年ライブ活動にこだわってきたマイラだが、後進のために、このインタビューに応じたという。

「もう、そろそろ明日に何が起きるか分からない、私もそろそろ年齢を感じてきているので、やっぱり若い後輩達にこういう生き様を見せたいなって。男性なら、ロックを歌ったりR&B歌ったり、世界各国ミカン箱の上で歌って募金を集めたりする人がけっこう、いらっしゃるけど女性の場合はなかなかいないし、このタイミングがちょうどいいかなって思ったの。

だから、ぜひ皆さんに、こんな風に生きてきたマイラ・ケイがいるんだよって事を残せたらいいかなと思って、インタビューに応じたのよ。」

 

 

「世界平和音楽プロデューサー」誕生秘話

「世界平和音楽プロデューサー」誕生秘話

ハーフという背景をもち、若くして日本でメジャーデビューを果たしたマイラ。

アメリカでは、たとえデートであっても割り勘だった生活が、バブル絶頂期ということもあり、連日 高級飲食店やブランド品プレゼントでチヤホヤされる生活に一変。当初はマイラも、それに驚いた。

「でも、だんだん慣れてくるじゃないですか。お金もバンバン入ってくるし、もう好き放題やってたら、ある日突然、なんだかむなしくなっちゃったの。何!この世界って。これがいつまで続くか分からないし、そういうモヤモヤがあったの。で、ある日突然。なんか本当に突然、突発的に死んじゃえ!みたいな感じで、希望も何も無くなっちゃって、大量の薬を飲んでワインを飲んで、自殺をはかっちゃったのよね。」

幸い彼女は一命を取りとめた。

運良くドラマチックに生き返ったものの、目覚めた後のリハビリが想像を絶するほどにきつかったため、もう1度死のうという「勇気」は無くしてしまったという。

この、あまりにも厳しいリハビリ生活に、マイラは自責の念を高めてしまう。結果的に周囲との関わりも絶つようになり、彼女は引きこもりがちになっていく。

「毎日毎日、自分はなぜ、こんなことをしたんだろうって、自分で自分を責めていくうちに、ある日突然もう1人の自分の声が聞こえてきたの。

『そんなに自分を責めても意味がないんだから、今の自分の経験を、世界各国の貧困の子供達に伝えたらどうなんだ』って。」

そこで彼女が思い立ったのが「世界平和音楽プロデューサー」だった。いや、当初はそのようなネーミングさえ無かった。

芸能界でのアップダウンが激しい生活と、強い心の葛藤が、もう1人の善なる自分に目覚めた結果の「進路」だった。

思い立ったら行動は早い!

住んでいたマンションを引き払い、身の回りのありあわせと、音源テープを詰め込んだミカン箱だけを手に彼女は突然、途上国に飛び立つ。

「最初はタイに呼ばれて、世界平和のために1曲歌ってくれってテネシーワルツを歌ったんですね。そしたらその国の方々が予想外に感動してくださって・・・。」

わずか数分程度であっても、聴衆が息をのんでマイラの歌を聴く。

心を込めた歌に、観客が心底から感動している様子を見て、歌手という存在の影響力の大きさを、改めて彼女は体感する。

同時に「You are the Queen of charity singer Mother Teresa」(音楽界のチャリティーの女王・マザーテレサになりなさい)とアドバイスを受ける。

キング牧師やガンジーなどは良く知っていたマイラは、しかし、マザーテレサについては深い知識をもっていなかったうえ、自分とつながっているようには当初、感じられなかった。
が、マザーテレサを知れば知るほど、彼女が行ってきたこと・軌跡、その生きてきた途のすごさに胸を突き動かされる。

「宗教とかまったく関係なく彼女、マザーテレサって凄い女性なんだなって、本当に感動したの。だから今度は、呼ばれてではなく、自分からアフリカに行ったの。」

アフリカの貧国の子供達は、何を求めているのか。音楽で彼らの役に立てるのだろうか。。。一抹の不安を抱えながらも、今、自分にできることをしよう。

そしてマイラはアフリカの道ばたで、歌って歌ってひたすら歌い続けた。

しかし、

「覚悟はしていたんですが、案の定、見向きもされませんでした。」

せめて何か一言だけでもあれば救われたものの、人々はまったくマイラの歌にもマイラ自身にも無関心だった。

マザーテレサが残した言葉に『愛の反対は憎しみではなく無関心』というのがあるが、この言葉通り、何の関心も寄せられないことは、当時の彼女にとって相当つらいことだった。それまでは、多少なりとも歌手というプライドがあったのだ。

ただ、考えてみれば、今日を生きるのも大変な貧しさにある人々にとって、道ばたで歌っている女性など、どうでもいいのは当然だ。

今日を生きるのも大変な貧しさにある人々にとって、道ばたで歌っている女性など、どうでもいいのは当然だ。

とはいえ、3日間歌い続けても無視され続けた時には、さすがに「ハエでもいいし蚊でもいいし鳥でもいいから、ここに私がいるんだから、お願いだから私に気づいてよ」と歌いながらも涙が止まらなかったという。半分ノイローゼになりそうな境界線に立った時に、またもや、もう1人の自分が「こんな所にいてもしょうがないじゃない。麻布へ帰れば友達もいるし、もう日本に帰りなさいよ、マイラ」とささやいてくる。まさに、自分との戦いだった。

今日が最後。これで無視されたら帰ろうと思ったその日、変わらず道ばたで歌っているマイラに、歯がボロボロの1人の男の子が寄ってきた。明らかに風呂など無縁のその子は、手にカチカチの固いパンを持っている。

見ると何か黒い物が動いていた。パンに、ハエとアリがたかっているのだ。その子がパンを差しだした時には、マイラの中で大きな葛藤があったという。

「『ハエでも蚊でもいいから、私に関心を寄せて!気がついて!』と前日まで考えていた自分に、今、この子は唯一の食べものであろう大切なパンを差し出してきてる。どうしよう、私って。」

しかし、彼のにこやかな笑顔を見ると、突き返すことなどできない。そしてマイラは、そのパンを食べた。

「大人だったらしないんだろうけど、純粋にこのパンは彼にとって最高の物じゃないですか。命より凄いもの。この気持ちにすごく感動して。そうか、チャリティーってお金をあげることが全てじゃないし、教育も何も受けてない子供が、自分にとって何よりも大切なはずのパンを、私のために差し出してくれたんだ。これこそ、『心(Heart)』でやってる本物のチャリティじゃないですか!」

マイラのチャリティ観が一変した瞬間だった。

その子は翌日、何人もの友達を連れてきた。純粋な子供ならではの動員力だ。彼らはマイラを見つけると小走りに駆けより、嬉しそうにしている。中に1人、ほっぺたがふくらんだ子がいる。家で食べていたスープから、ジャガイモか何かの野菜を口に含み、飲み込まないで持ってきていたのだ。それは彼らにとって最大のもてなし。

その野菜を、明らかに泥で汚れた手に出して、マイラに差し出す。それをマイラはありがたく食べた。

「そうしたら、私みんなの人気者になったんです。でも、すごくないですか子供って!貴重なはずの野菜を、家から飲み込まないで持ってきてくれるんだもの!」

気づけば、マイラの周りにはアフリカの子供達が輪を作っていた。リズム感が悪い子もいたが、みんなマイラの歌に合わせて身体をゆさぶりながら「音楽」を楽しんでいた。

翌日からは、母親達も集まってくれたという。ある時には、栄養失調で目が飛び出した小さな子供を抱えた母親がいた。

その子はお腹がパンパンにふくれていた。
栄養失調が進み、死が近づいていることはマイラの目にも見てとれた。
母は、その小さな子をマイラに抱かせようとする。

「看取ってくれって言ってるんだなって感じたの。でもNo!それは出来ない。やっとみんなと仲良くなれたのに、看取るなんて悲しいことは、できない。」

しかし母親は、マイラを拝まんばかり。意を決して、子供を抱いた。

とうの子供は見ず知らずの女性に抱かれてぐずりはじめる。同じように、マイラの中でも葛藤が始まる。

その気持ちがわかるのだろう。子供は泣いて、マイラをひっかこうとする。決して、美しい感動のシーンなどではない。

「どうしよう。どうしよう。この子、どうしたらいいんだろう。私はお医者さんじゃないし。。。」

改めて、自分にできることを問うた。

しかし、歌しかなかった。
だから、歌うしかなかった。

「自分はお医者さんじゃないんだし、だったら、もう最高の歌を歌ってあげるしかないなと思って歌い始めたの。そしたら、涙がぽろぽろ出てきたの。」

ひとしきり動いたあと、子供は息も絶え絶えになる。その時、マイラの涙が落ちた。

「その瞬間にね、そこ子がピクって動いたの。そのときに命って凄いなって。今さらながら感じた時に、この子に最高の歌を歌ってあげようと思って「Amazing Grace~」って歌ってるとその子がジッと見てるの。とても大きな黒い目で、まっすぐジッと私を。。。苦しいはずなのに、ちっちゃな手で私の涙を拭きながら、笑顔で亡くなっていったの。」

その時にマイラは、様々なことを感じた。

「90歳まで生きて、人にいじわるしているよりも、この子は数ヶ月ぐらいしか生きられなかったけど、今こうやって私が伝える事で、どれだけの大きな使命があるのかと思ったの。何も話ができないし、何もその子とはしゃべってないんだけど、そのときの私は、ただただ凄いね、あなたの命はすごく価値があったんだよって。

そして、今度生まれ変わったら、普通のおうちに生まれて、普通にご飯が食べられる所に絶対生まれてねって。」

「それと、この子から学んだことは他にもあるの。この子を抱くまでは、まだ私自身、どこか上から目線で、『この子は可哀想』と思ってる自分がいたの。でも可哀想じゃなくて、とてつもなく大きな役割を果たしたんだから、偉かったねって。心底から、そう思えるようになった。それが、私が本当に子供達の支援を始めたスタートラインね。」

「それまではチャリティというものに、どこか「やってあげている」という心があったの。

そして、「してあげているんだから、いい子にしてね」というのが、どこかにある。「これだけのことを、してあげてるんだから」と。どこかにそれが出ていた。

もし相手の側も「してもらっている」という意識が出ていたなら、それをなくさなきゃ。なくすためには、冷たく突き放して自分たちの足で立てるようにするしかない。お金を恵み続けることがチャリティじゃないって気がついたの。」

自分達の足で立ち、自立できるように支援する。それが本当のチャリティであり、お金ではなく真心をつないでいこう。

だから、マイラはチャリティライブをおこなう。

マイラはチャリティライブをおこなう。

昨年(取材当時・2015年)も「戦後70年の世界平和チャリティーコンサート」を開催した。そして彼女は歌える限り、これからもライブを続けていく。

 

『World Peaceって何?』

「今年(取材当時・2016年)は、戦後71年なんだけど、いまだに戦後って終わらないでしょ?未だに戦争ってあるでしょ? だから私は、『World Peaceって何?』って考えたんですね。

そしたら、それは「身近にいる、今この目の前にいるこの人達」に、笑顔だったり歌を届けることと気づいたの。

『みんなのために身を削ってでも、無理をしなくちゃいけない!』『いや反対に、無理はしちゃいけない!』とか思うと、余計に続かないから。

だから、自分にできる笑顔だったり歌だったり、そういう『自分になら出来ること』をすること。それがWorld Peaceにつながる。

そう感じたし、それを子供達に伝えたいの。親に対して『ありがとう』とか・・・何か感じたら、『例えばこう言ったらこう言われるだろうな、とシミュレーションして受け答えする』とかじゃなく、今思った気持ちを素直にシンプルに、伝えたらいいのよって。

そういう風に子供達に伝えていきたいの。すると子供ってピュアだから、きちんとわかってくれる。

それとね、今一番めざしているゴールは何かというと、貧困の子供達と日本の普通の子供達で文通をさせたいの。それもeメールとかじゃなく、昔ながらの手紙・・・!

郵便の、あの時間がかかる手紙で文通をさせたいの。それと今、実際に活動を始めているのは、エジプトのホームレスの子供達に施設を作ること。

最初は学校をプレゼントしようと思っていたんだけど、学校だと普通の子供達は行けるけど、家のない子供達って学校どころじゃないでしょ。
だから、ちっちゃな所でもいいからシェアハウスみたいな施設をプレゼントして、そこで読み書きの練習だったり、料理を教えていこうかなって思ってるの。」

確かに貧国の子供達に学校をプレゼントしたいという優しい人は多いが、ホームレスの子供にも自立できる場を!と発想できるのは、マイラ自身がアフリカという場所で多くの子供達と関わってきたからだ。

この活動について話すマイラの目は、キラキラ輝いていた。

「例えばサコさんが、普通の日本の一般家庭の人だとする。で、私が貧困のエジプトの子供だとしたら、

『Sako, How are you? 今夜の夕食にすごいご馳走が出たよ』って手紙書くと、『えっ!? エジプトのご馳走ってどんなの?』って、子供って手紙を読みながら、わくわくするじゃないですか。『うん。スープにジャガイモが入ってたんだよ!』って書いてきたら、日本の子供って『スープにジャガイモがご馳走?』って。。。

あれ嫌い、これも嫌いって言うと『好き嫌いはワガママだ』と自分の親に言われ、すぐに反発するでしょ。

でも、子供同士だとタマネギ嫌いとかピーマン嫌いとか、そんなことを言ってる自分に、何か感じる物があるものよ。説教なんてしなくても、ほうっておいても子供達は感じる物があるの。

たとえばある日はね、「今日ね、エジプトの空を見たら、すごく星がキレイだったよ。きっと日本でサコも同じ星を見てるかな?」って手紙が届いたら、「そういえば最近、星なんて見てないよな~」って日本の子供達が思うわけ。「ゲームかテレビだよな。。。そっか、星か~!向こうの国では、どんな星空なんだろう。」って。そこに子供達が自分で成長するものが、きちんとあると思うの。

だから、この手紙プロジェクトは、すぐにでも始めるわ!」

 

マイラには歌しかない・・・マイラには歌がある!

マイラ・ケイは、すでに世界平和音楽プロデューサーとして多彩な実績がある。

エジプトからは、現地の有名な歌手 モハメッド・ラヒームから招待されてライブに向かった。おりしも、2015年のパリ同時多発テロ事件直後。

不安を抱えながらもカイロを訪問すると「国賓レベル」かと感じるほどの歓迎をしてくれたという。そのうえ、ラヒームからは「This Moment」(今、この時)という自作の曲をプレゼントされる。

子供達と写真撮影

そのラヒームとは、音楽とネットを通して知り合った。まったく見ず知らずの国の歌手と、言葉や地域の壁さえ乗りこえ 想いをつないでいける。なぜなら、マイラには歌があるから。

これまでは「自分には、歌しかない!」そう考えていたマイラは、さらに大きな高みに、大いなる野望を抱いて上がっていく。

なぜなら「マイラには歌があるから!」

歌があるから、何も怖くない。歌があるから、誰にでも語りかけることができる。

歌があるから、マイラはこの音楽で、世界平和をめざす。

だから、あなたもどうか、マイラと彼女の活動を応援してください。
~ マイラ・ケイのライブやCDの最新情報は、下記よりご覧いただけます ~
(2016年9月取材、敬称略)
11月26日・沖縄ライブ!  詳しくはコチラ

紹介

 

世界平和音楽プロデューサー: マイラ・ケイのライブ

マイラ・ケイは世界の子供たちのために歌います。そして、シングルマザーや子育て中のママ、キャリアウーマンのためにも心をこめて歌います。

マイラ・ケイは一般的なライブも喜んでおこないますが、チャリティ性や慈善要素の高いライブなら、なお歓迎とのことです。

ご興味おありの方は、ぜひマイラにお問い合わせください。下記の料金の中に、マイラのチャリティ活動支援金が含まれています。

内容料金(税別)
ライブ1時間   (リハーサル・MC含む)150,000円
ライブ1時間30分 (リハーサル・MC含む)180,000円
ライブ2時間   (リハーサル・MC含む)200,000円

※ 上記はカラオケ音源を使ったマイラ・ケイ1人のライブ料金となり、バンドなどは別途になります。上記はライブの料金となり、交通費や宿泊費など実費をともなう場合には別途実費にてお願いしております。

CDの購入代金も、各所へのチャリティにつながります。

CD紹介:
「未来に残そう青い海」(海上保安庁のイメージソング)
「You are the one」

「未来に残そう青い海」(海上保安庁のイメージソング)  「You are the one」

関連記事

  1. ホープ・チャリティーディナーが開催されます。
  2. 運営会社:株式会社アルトスター
  3. 半世紀以上も最前線で活躍する 映画人・染野行雄(そめのゆきお…
  4. スーパーラグビーチームと契約した最初の日本人!
  5. 国境なき医師団より、感謝状をいただきました。
  6. ガンに勝つアクション俳優・松田優(まつだ・まさる)
  7. 日本が世界に誇る演歌歌手・原田悠里
  8. 「世界平和実現プロジェクト・メディアサイト」での広告募集

ピックアップ記事

PAGE TOP