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スーパーラグビーチームと契約した最初の日本人!

国際ラグビーで1つの歴史を作った日本人ラガーマン

浜村裕之(はまむら・ひろゆき/以降、本文敬称略)は、ラグビー界で1つの歴史を作った日本人だ。

彼は日本人で初めて、かの「スーパーラグビーと契約」というレジェンドを作った。
具体的には、スーパーラグビー(★1)チームの中でもSUPER12(★2)であるニュージーランド「ブルーズ(Blues)」において、アナリスト(★3)」として契約をした。ここで彼は、日本人アナリストがどれほど勤勉かつ優秀であるかを、世界に知らしめる功績を残したのだ。

小柄で泣き虫だった小・中学時代

龍谷大学ではヘッドコーチを経て、現在は監督を務めている浜村。

背が高く、体格も立派で、どこから見てもラグビーをするために産まれてきたかのような彼だが、意外にも幼少より小さく弱虫だった。聞けば中学入学時は、身長わずか140cm。

hamamura-02そのうえ、いつも兄にケンカで負かされ、泣かされてばかりだったという。

そんな浜村は、この兄にどうしても勝ちたくて、中学入学後すぐに体育会系のクラブに入り、いつか兄を倒してやるぞと意気込んでいた。

早速、部活見学を始めたところ、たまたま最初に体験入部をしたのがラグビーだった。

そこでは当時、部を率いていた教員・脇田浩一のもと、実に楽しそうにトレーニングに励んでいるチームがいた。ラグビーのことなど何も知らなかった浜村だが、結局その日の内に入部し、そこからすっかりラグビーの魅力にはまっていく。

『勝ち負けへのこだわりではなく、ただ単純に、ラグビーのおもしろさに惹かれたんです。」
「ラグビーは、一人では何もできないスポーツです。
テニスなどの球技や武道などと違い、チーム全体でおこなうスポーツで、一人一人が助け合い、自分がおこなうべきことを実践してチームを助け、勝ちを得る。
一言でいえば「助け合い」のスポーツで、一人では何もできない。けれども、15人が集まれば1つのことを達成できるといった、人とのつながりを重視するところが、他のスポーツにない魅力だと感じたのです。』

そして入部早々、指導者の脇田から「お前は身体が小さいから」とスクラムハーフを任されることになった。どんなに小さくても活躍できる場があるのが、ラグビーの良さだ。

ラグビーエリートでは無かった浜村

「小柄で弱虫だったのに、いくら中学の部活とはいえ、いきなりラグビーはきつくなかったのか?」

素朴な疑問が浮かぶが、入部後すぐからハードな練習はなく、徐々に慣らしてもらってのトレーニングだったため、当初は大きな壁を感じなかったとのこと。

しかし、いざ本格的な試合になると、自分との戦いが始まってしまう。

その戦いとは「大きな体格の相手に、飛びついていけるかどうか。その勇気があるかどうか。」

hamamura-03『僕自身は周りに比べ、すごく小さかったので、怖くて全然向かっていけず、中1~2年の頃はずっとビクビクしていました。実際、自分がまごつくとチームのみんなに迷惑をかけるし、最初の頃は葛藤がすごくあったんです。

ラグビーを辞めたいとは思わなかったんですが、他のメンバーは全員できているのに、自分だけができていない・・・。やっぱり、すごく取り残された感があって、「僕だってできるようになりたい!」という想いが高まってきて、ようやく3年になった頃に、迷いなく相手選手に向かっていけるようになったんです。』

長いサナギの時期を経て、小さな闘士が覚醒した瞬間だった。

一浪して大学へ

映画や小説ではおきまりのようにヒーローに苦難が待ち受けているが、浜村にも同じように困難が待っていた。大学入試においても、スポーツ推薦は得られず一般入試でさえ落ちてしまった。

結局、現在 監督をしている龍谷大学にも、一浪で入学することとなる。

本来1学年上であるはずの浜村は、1年下の同級生と一緒にやっていかなければならない。しかも、スポーツ推薦で入ったエリートもその中にいる。ここでも相変わらず、劣等感は持ち続けたままだ。

だが、その劣等感こそが彼を「コツコツ地道に努力する」人間に育てたのだろう。もし、すべてにおいてトントン拍子に進んでいたなら、どこかで傲慢な人間になっていたかもしれない。

「エリート学生とは、スタートから大きな差があったのだから、とにかくコツコツ地道な努力をしてチャンスを貰うしか無い。しかし、それで貰えたチャンスなら、ただ精一杯頑張るのみ!」

自分を励まし、自らに言い聞かせ、ひたすら彼は歯を食いしばって、血のにじむような努力を重ね続けた。

hamamura-04『僕には、それしかなかったんです。一つのことに、のめり込むタイプですし、とにかくいつも、自分にできることを、ただコツコツしてきただけなんです。あまり何も考えず、本当に単純に「試合に出たいから頑張る」
「せっかくチャンスを頂いたのだから、この仕事をとにかく頑張る」

そういう姿勢でコツコツやってきたことを、周りの人に評価して頂けて、今の自分があるのかなと思っています。』

その姿勢こそが、人生を好転させる。

自らと戦う努力の人を、神は決して、見放しはしない。

hamamura-05結果、大学ではレギュラーとしてリーグ戦で活躍できただけでなく、卒業後にも大好きなラグビーで仕事ができるようになったのだ。ちょうどヤマハ発動機が関西Bリーグで強化をしていた良いタイミングだった。ヤマハ発動機ジュビロは、後にあの五郎丸歩によって日本中に知られるチームとなるが、この縁をくれたのは、コツコツ頑張る浜村を見守ってくれていた人だった。

運というのは、あくまでも結果でしか無い。

本人が努力したからこそ、その結果(幸運)を得られるのだ。

『でも、僕だけの力じゃないんです。

まわりに・・・

すごくいい方々に、巡り会えたからです。』

どこまでも謙虚に、浜村は感謝の言葉を口にする。

24時間、ラグビーのためになることは何でもする!

『ヤマハ発動機で現役引退後、テクニカルコーチを始めた時は、当時の監督に「とにかく何でもやれ!」と言われたんです。チームにとって良いということは、何でもやれ、と。

アナリストとは、数字的なデータや映像データなど、コーチ陣がチームにとって、一番良い判断ができるように、各種データを用意するのが仕事です。

hamamura-07当時はパソコンも、もちろんタブレットなども無いうえ、デジタルではなくアナログの時代ですから、データ化するためにはVTRのテープを、何度も見てデータを取る必要があります。

他チームの戦績や、チェックしないといけない選手の情報など、試合が終わった日は、寝ずに録画データを再生~巻き戻し・一時停止をして、何度も何度も見直して分析表に書き出したり、VHS同士をつないでテープを編集したりして、チームの戦略に活かさないといけないんです。

ただ、監督からは「前任者はこうしていたから」などの前例主義ではなく、「自分がいいと思うなら、とにかく何でも一度やってみろ!」「お前の好きなラグビーの仕事ができるチャンスなんだから、24時間をラグビーのため、このチームのために使ってみろ!」と言って頂いたので、その言葉を信じてその通りにやってみたところ、お陰でいい結果が出たんです。』

浜村は、努力の人であるとともに、素直で純粋な人なのだ。

ラグビーワールドカップ + スーパーラグビーへの道

その後、「U21」と呼ばれる21才以下のワールドカップ・イングランド大会でもテクニカルコーチを務め、今度はいよいよラグビーの国ニュージーランドへと、ステップを上っていく。幸い、大学時代に半年ほどホームステイ留学をしていた経験から、基本的な英語力は身につけていたこともあり、ニュージーランドでは州代表選手権、ノースハーバー代表アナリストとして思う存分、力量を発揮することができた。

実は英語に関しては、ホームステイ当初の3ヶ月ぐらい、何を言われているのか、何もわからない状態だったのが、ある日フッとわかるようになってきて、英会話でも自信がついてきたという。

外国語習得において、この手の経験をした人は多いだろう。この「3ヶ月」が、人によっては半年だったり1年だったりするし、語学ではなく、何らかの技術の場合にもよくあることだ。

hamamura-08そしてついにニュージーランドでは、SUPER12であるブルーズでもアナリストを務めることになった。

とはいえ、最初の1年目は正式な「契約」はしていなかったという。

いわゆるお試しの期間なのだろう。

この期間に挫折や自滅をする人も多いのではないだろうか。

外国語の「何もわからない時期」に、諦めて辞めてしまう人が多いのと似ているのだろう。

ここを乗り越えられるかどうか?

それが人生を左右する。

そして見事、浜村は乗り越えてみせた。

日本で初めて、スーパーラグビーとの契約をしたラガーマンになったのだ!

hamamura-09その結果、彼はすべてにおいて「特別待遇」を受ける。ラグビーワールドカップの時もそうだが、

ホームであるオークランド空港では、特別ゲートまで用意されるほど、国をあげての大歓迎を受ける。こうして毎日がワクワク感動の日となり、「ラグビーそのもの」以前に、素晴らしい「ラグビー文化」を目の当たりにすることとなる。

まさに「幼児から老人まで」大群衆が歓喜の中で待ち受けるほどのヒーロー扱いだ。負けて泣いてばかりいた少年が、世界のヒーローになったのだ!

とにかく対話を心がけた時期

『スーパーラグビーについては、もう本当に幸運なカタチで関わらせて頂きました。

もちろん、アナリストとしては大きな責任もありますし、妥協も決して許してもらえないし、絶対的な仕事をしなければならない。また自分でもそれをしてきましたが、色々な国に遠征に行ったりして素晴らしい経験をたくさん、させてもらいました。

英語も上達して、メンバーとコミュニケーションを取ることに困ることはないですね。

ヤマハ発動機時代のコーチがニュージーランド出身の外国人だったので、この頃からもそうだったんですが、彼らが何を選手に伝えたいのか?日本人なりに時間をかけて理解をして、それを選手に伝えるということと、後はコーチが判断できる材料を僕が用意することをやってきました。

そして、選手がわからない問題については、まず自分が代表してコーチに聞いてみるなど、できるだけ会話をして、お互いに理解するための時間は増やしましたね。』

『外国人など、違う文化や背景をもった人と、一緒によりよい仕事をするために頑張ったことは、自分の仕事よりも、まずその人達と一緒に過ごしたことです。

自分の仕事は夜ひとりで、寝ずにでもできるので後回しにし、チームメイトといる時は彼らとできるだけ一緒に時間を過ごして話を聞けるように。コーチ同士で話していることを横で聞いて、自分も理解できるように努めたりなどしてきました。

この時期には、色々な人と知り合えましたし、スタッフ同士でも「しんどくなってきたら」一緒にご飯を食べにいって、みんなで支え合ったり助け合ったりしました。

みんな大変なプレッシャーがありますから、グラウンドの中の15人だけではなく、スタッフ同士も色々と気を遣いあい、サポートしあいながらチームとして支え合っているという、本当に素晴らしい環境の中で仕事をさせてもらいました。

連日徹夜や色々と苦労はあったものの、それを凌駕するだけの素晴らしい経験、素晴らしい環境で仕事をさせてもらっているのは、当時は日本人では自分1人だけだったので、とても感動的でした。』

hamamura-10何かに打ち込む人は本当に幸せそうな顔をするが、インタビューに答える浜村も、まさに同じだ。

その後、ブルーズ時代の監督に呼んでもらい、オーストラリア協会とも契約し、やはり日本人初 ジュニアワールドカップ 南アフリカ大会 セブンスワールドシリーズ出場というチャンスを得る。ここでも、テニクカルアナリストとしての力量発揮だ。

与えられた場で、いかに仕事で成果を出したか。その結果のオーストラリア行きだ。

オーストラリアのラグビー・ナショナルチーム「ワラビーズ」の、下の世代の育成のアナリストなど、この10年程の間に、ニュージーランドとオーストラリア各地を転戦し、世界各地も訪問し、選手や監督などとも、本当にたくさんの出会いがあった。

「口下手で会話をするのが苦手」

実に華やかな経歴の彼だが、意外にも、口下手で人と話をするのが苦手だという。

だから「テニクカルアナリスト」という、一人でコツコツする仕事が性に合っているそうだ。

実はインタビューアーも、そこはまったく同じ。

hamamura-11一見、社交家に見られるが、人との対話や交流が苦手で、facebookやLINEさえ極力避けてしまう。なので、目の前にいる「日本人初のスーパーラグビー契約者」が口下手だといっても、まったく驚かない。実際、浜村は実直を絵に描いたような人柄なので、むしろ共感してしまった。

そんな彼は今、「人を指導することの難しさ」に直面しているという。

大学で監督として、みんなの前で話をしないといけない立場だが、そもそも何を話したら良いのか。「普通に自分が思っていることを話したらいい」とのアドバイスももらうが、それ自体が難しいのだ。

ここの部分も、まったく同じ。

リーダーとして、指導者として、どう振る舞えば良いのか?

立派であろうとすると、本来の自分とのギャップが大きすぎるし、かといって自然体に振る舞うと、威厳がなかったり思わぬ反発にあったりする。

そもそも、自分自身がごく自然に育成されてきたため、「指導力」や「育成術」について、深く考えてこなかったのだ。

特に彼の場合、外国人との協働生活が長かったため余計にそう感じるという。彼が一緒に過ごしてきた外国人の場合は、向こうから遠慮無く話しかけてくれるタイプが多かったのだ。

対して、日本人の場合は、どこか距離を置いてしまうところがある。

そして浜村自身、性格的にも自分から、その距離を近づけることができないタイプなのだ。

また、ニュージーランドやオーストラリアでは、白黒はっきりしている。

「ムリなものはムリ。できないものはできない。でも、できることはできる」と。

なので「海外で働いていた時は楽だった」という感覚が、どこかに残っている。

実際、監督自身は素晴らしい何人もの師に恵まれ、すくすくと育ってきた。

今、育成で苦労をしているからこそ、これまでの師達が、いかに素晴らしい指導者ばかりであったことか痛感している。

「ラグビーをする」ということと「ラグビーを教える」ということは、まったく別だと気づいたからこそ、今が正念場なのかもしれない。

『人に何かを教える際には「言葉」がすごく大切ですが、僕はそれを避けてきた人なので、伝えることが、すごく難しいと感じるんです。どう伝えるのか、それが大きな課題です。』

教育とラグビーが切り離されている海外

海外での経験の方が長い彼が見る限り、海外では、教育とラグビーは別のものとして捉えているようだという。

教育は「教育」、ラグビーは「文化」だと。

しかし、日本のラグビーではまず「人として」の部分が強い。

『海外では、まず能力がある子を見つけて、そのタレント(才能)に対して、アスリートとして教育します。つまり、その子がたとえ人間的にちゃらんぽらんであっても、しっかりアスリートとして教育していくシステムになっていて、後は周りにいる人間が、彼を「文化として」育てていくという感じなんです。

だからスーパーラグビーでは、人として未熟な選手が何人もいたんですよ。

遅刻はしてくるし、ハチャメチャだし、特に契約したての若い選手なんかは、もう全然でしたね。』

日本では反対に、契約した最初の頃だけでも、張り切ってきちんとするイメージが強いため意外な話だが、海外では反対なのだ。

『プロ生命を終えた後に、何になりたいのかが選択できるような、そういう教育システムが海外ではできあがっているんです。

しかし日本のラグビー界だと、高校から大学ラグビーまで「教育」と「ラグビー」が重なっているので、まず「人間とは」というところが大きいウエートを占めています。

僕が今監督をしている大学も、そういう部分を重視しているのですが、しかし、その辺りのことを伝えるのが、すごく難しいんです。僕自身も決して素晴らしい人間でもないのに、それを若い人達に伝えるのは、すごく大きい仕事だなと改めて感じています。

一体どうしたらいいか、いつも悩んでいるんです。』

人を導くことの難しさ

『教えるというよりも、その子が『大学の4年間』を終えた後に気づいてもらえたらいいのかなと思っているのですが、人を指導をするのって、本当に難しいですね。

僕らの時代とは違って、メンタル的な話だけで人は動かないし。昔なら、「先生がこう言ってるんだから、よっしゃ、やろう!」となったものの、今はそれじゃ動かない。どう「やる気」を出してあげるのか、色々としっかり考えてあげないといけない。

これが社会人やプロ選手なら、仕事として給料を貰っているので、そこはもっとドライにできますし、海外の場合は、まず動かないとチームに入れないので、もっとドライ。「やるか、やらないか」だけ。

僕自身は、そういった環境で経験してきたので、その概念でやっていたんですが、それだと今の学生達は動かないことを、ひしひしと実感しています。

今の立場にたってみて改めて感じるのは、自分のこれまでの恩師がどれほど素晴らしい人達だったかです。たとえば中学時代の恩師は、卒業生が慕って戻ってくる本当に素晴らしい先生なんです。あの先生のように素晴らしい指導者になりたいです。』

彼の苦悩がイヤというほど理解できるからこそ、何とか一緒に「上手く伝える方法」や「指導方法の上達」を学んでいけないか、ついそんなことを考えてしまう。それとともに、指導者として苦悩している人だからこそ、「世界平和実現プロジェクト」に登場してもらうにふさわしい人物だと、改めて思う。

「世界平和」は誰もがみんな望むことなのに、実現への道のりはあまりにも遠い。逆にいえば、この難点が解消できれば、世界平和も実現可能ではないのか。

なぜなら、現在は過去の努力の結果であり、未来はこれからの努力の結果で決まるから。

なので、浜村もきっと持ち前の努力でコツコツと、必ずや素晴らしい指導者への道を歩んでいけることだろう。
桃字は、稲盛和夫氏の名言)

将来をになう子供達へのメッセージ

『今は、苦労せずに情報が採れる時代。

昔は本当に情報が少ない中で、雑誌を探したり、「情報を探す」という努力をしなければならなかったけど、今はネットから簡単に情報が採れる時代です。

でも、そうやって手に入れた情報が、本当なのかどうなのかを確認するというか、きちんと判断することが重要。苦労せずに手に入れた情報に、惑わされないことが大事だからです。

たとえば、どこかの国の人がこんなだ、とか、こんなことを言っていたとか、悪いイメージがあったとしても、実際にその国に行ってみないとわからないし、その国の人と出会って、話をしてみるからこそ、自分で判断できる

『他人が言ってるから、こうだ』

ではなく、良いことも悪いことも、自分自身の体感で判断できるように、若い時にこそ外に出てみることが重要なのかなと。

悪いという印象の国も、もしかしたら、すごくいい人に出会えたら、すごくいいのかもしれないし、「いい国」と思っていても、自分自身が悪い体験をしたら、その国のことはいいと思わないでしょうし、あまりメディアや世間一般での情報に惑わされないで、どんどん自分できちんと見ることが重要かなと。

見て体感して、本当のことがわかったら、より良いですし、その中で本当の自分の世界を広げていって欲しいと思います。』

本当にその通りで、狭い日本にいるとわからないことがたくさんある。

hamamura-12スポーツに関してだけでなく、たとえば今こうしている間にも、紛争で苦しんでいる人や飲み水さえ手に入らない人がたくさんいる。世界では毎年、約180万人の子供が不衛生な水等が原因で命を落としているという。難民問題も、年々厳しさを増すばかりだ。

だからこそ、まずは『真実を知ること』そして『世界を見ること』を多くの子供達にしてもらいたい。そこから、新たな出会いや希望が、きっと生まれてくることだろう。

その第一歩として、私達は浜村監督にインタビューすることができた。

この出会いとご縁に心から感謝!

 

★1:スーパーラグビーとは、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ共和国(以上、いずれもイギリス連邦加盟国)及びアルゼンチン、そして日本の5か国、計18のクラブチームで行われるラグビーユニオン・国際リーグ戦のこと。ラグビーリーグでは世界最高峰。

 ★2:ラグビーはイギリス発祥のスポーツであるが、世界3大強国であるニュージーランド、南アフリカ、オーストラリアによって当初12チームでの精鋭プロクラブが作られたため、これら選抜チームは、SUPER12(スーパー・トゥエルブ)と呼ばれていた。

 ★3:アナリストとは、日本国内においては「テクニカル」とも呼ばれていた部門で、「映像の確保」や「データ分析」などを主としたコーチ陣の要的存在。

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