香港映画界で、なくてはならない「無名の英雄」
<つらい時、悲しい時に、楽しい映画を見て元気づけられた。>
<さみしい時、やるせない時に、スカっとするアクション映画を見て心が晴れた!>
そんな経験は、ないだろうか。
わずか2時間ほどの作品なのに、映画には、人をふるいたたせる力がある。
120分前後の映像なのに、誰かの人生を大きく変える力がある。
実際に筆者は映画の魅力にすっかりはまり、高校時代には映画館で年100本以上の作品を鑑賞していた。当時は大阪・梅田にも三番館と呼ばれる低料金3本立ての映画館がいくつかあり、うら若き10代の女性が、毎週のように週末は朝にハンバーガーを買い込んで1日を映画館で一人過ごす。3本見終わって出てくると、もう外は真っ暗、すっかり夜だ。
特にハリウッド映画と香港映画は夢中で見た。
そんな映画界は、その影響力ゆえに誰もが憧れ、一度は夢見る世界。
その業界で、50年もの長きにわたり、最前線で活動する映画人、それが染野行雄という人物。
染野は、かの香港映画界では「無名の英雄」として、一目も二目もおかれる大御所なのだ。
天命の人生か、努力ゆえの人生か
染野と映画の出会いは実に奇遇だ。
1948年茨城県生まれの彼は、中学卒業後、東京でカバン製造会社に就職。
記憶力が抜群で周囲を圧倒するほど優秀だった彼は、家庭の事情から就職を選んだだけで、いずれは海外へ!という夢を密かに抱いていた。彼の誕生時に発売されたヒットソング「憧れのハワイ航路」が、まだまだ影響力をもっていたほど、当時も「外国」は憧れの的だったのだ。
実家を離れ、東京で就職していたとはいえ、まだ15~6才と若い彼は、どうしても外国への夢を捨てきれず苦労を重ねたあげく、当時の花形である船乗りになるため国立清水海員学校(当時)に合格~入学を果たす。この時、神の采配としか言えないほどの不思議な経験をする。
というのも最終試験が、彼が前夜に試験勉強をした内容ばかりだったのだ。
空手を習い礼儀作法を身につけていたこともあり、面接でも優秀な成績をおさめ、こうして中卒の彼は、高卒受験者ばかりの中、大変な競争率を勝ち抜いて入学したのだ。
ところが1年後、清水港で偶然、目にした海上保安官の姿に衝撃を受け、人命救助の仕事がしたいと海員学校の校長に直談判をする。意をくんでくれた校長が海保の担当者に電話をすると、またも奇遇なことに、校長と担当者は士官学校の同期生だったことが判明。
この縁と、たまたま巡視船に欠員が出たこともあり、海上保安官として巡視船に乗船できることになった。
本来ならあり得ないほどの夢がかない、2年の巡視船生活を経た1967年、ここでも偶然、香港の映画撮影隊が日本人乗馬スタントを募集していると知る。製作会社であるショウ・ブラザーズが、トップスター、ジミー・ウォンの主演作品を日本へ撮影しに来ていたのだ。
馬乗りなら得意だ。
小学校へは、馬に乗って通学していたほどなのだから。
いつもの熱意と身体能力で見事にスタントをこなすと、香港での乗馬指導を請われることになった。
おりしも「ショウ・ブラザーズ黄金時代」と呼ばれ、染野が初スタントを務めた映画「金燕子」はヒット。ショウ・ブラザーズがアジア最大の映画会社になる要素に、彼も関わっていたのだった。
こうして彼の映画人生が始まる。
香港に渡ったのは1968年だ。
ハタから見ると、努力と幸運の人生のようだが、これはまさに「天命」としか言いようがない。
それまでの苦労は、神が彼に、映画の仕事を天職として授けるための道のりだったのだ。
「失敗は成功の母」
15才から空手を習っていたこともあり、カンフー映画で人気を博していた香港映画界では、スタントアクションと乗馬指導で、無くてはならない存在になる染野。香港では、染野のように自由自在に馬を乗りこなす映画人がいなかったのだ。
当時の彼を取材した日本のテレビ映像が残っている。
若干27才の彼が、流ちょうな広東語で乗馬指導をしている特集番組だ。
事実、彼の指導により、教え子達はスターへの道を歩む。たとえば、アレクサンダー・フー・シェンやダニー・リー、そして日本人では大島 由加利なども後の「シンシア・ラスター」として、アジアのトップスターになっていく。
俳優のみならず、映画製作の重鎮たちとも苦楽を共にしている。
たとえば、香港で映画出演を断念しかけていたブルース・リーに「ゴールデン・ハーベストへ行くように」と染野がアドバイスしたことから、かのブルースリー・ブームが巻き起こったことは香港でも有名な話である。
また、「レッドクリフ」や「ミッション:インポッシブルII」で世界的にも有名なジョン・ウー監督とはウーがスクリプターなどしていた頃から知り合いで、彼が最初の助監督をおこなった際、染野がアクション・ディレクターを務めたという深い縁がある。
さらに、香港ルノワールの代表的作品である『インファナル・アフェア』のアンドリュー・ラウ監督は、染野がアクションシーンで活躍していた頃に撮影用トロッコをひいていたなど、引きをきらない。
そんな彼の座右の銘が「失敗は成功の母」。
一見すると順風満帆に見える染野のサクセスストーリーも、現実には、血のにじむ努力の上に成り立っているからだ。
手慣れた乗馬スタントさえ、タイミングが悪ければ落馬事故につながり、何度死線をさまよったことか。
数日間意識不明など、決して珍しいことではない。
そのうえ渡港当初は、広東語すら話せなかった。
両親の反対を押し切り、世話になった海員学校や海上保安庁を背に香港に渡航したのだから、泣き言を言う相手もいない。いや、泣き言など、考えもしなかった。
立派に成功するまでは、決して日本に帰らない!
その想いの中、身体にムチ打って、必死に仕事に励んだ。
そんな染野を支えてくれたのは、現地で知り合った香港人女性。
警官だった彼女から、駐車禁止の切符を切られたことが縁で結婚し、「夢見る夢男」から一家の大黒柱へと成長する染野。
とはいえ、右も左もわからない国・業界で、どれほど多くの失敗をしてきたことか。
だからこそ「成功」を手に入れることができたとも言える。
文化も考え方も違う中国・香港
今でこそ香港は、東京からわずか4~5時間の空路でいける身近な都市だ。
しかし、当時は今のように就航便数は多くなく、ましてLCCなど存在しない。船での旅行も珍しくないほど空路は整備されておらず、簡単に行き来できる時代ではなかった。
そのうえ、言葉のハンディ以上に文化や社会的なギャップも大きい。
映画製作においても、日本では事前にみっちりスケジュールを立て、台本もセットも準備万端にするが、香港では盗作が日常茶飯であることから、その日の朝に台本や設定が組まれることも珍しくない。
つまり、臨機応変力が何より求められ、素早い対応が要求される。
しかも妥協は許さない一流どころとの仕事は、染野自身も完璧主義者であるからこそ、苦労の連続だった。
よく言われる話だが、白鳥は、その美しい姿の下で必死に両足で水をかいている。
蓮(はす)の花は、その見事な華麗さの下で、泥の中に根を伸ばしている。
まさに染野の人生は、白鳥や蓮の美しさと同じ。必至に水をかき、泥を決していとわない。
しかも、白鳥や花と同じように、グチ一つこぼさない染野。
だからこそ、天は主演映画というご褒美を与えてくれた。
1981年 、ついに日本人初主演の香港映画である「大毛見小毛」(英題Little things mean a lot)が公開される。「大毛見小毛」とは「小さな事が大きな意味を持つ」という意味で、香港らしい愉快なコメディ作品だ。
決して俳優をめざしていたわけではなかったのに、あまたの失敗と苦労を重ねたからこその主演映画。
染野の人生、見事というしかない!
日本と香港・中国映画の架け橋として
「大毛見小毛」と時を同じくして、「成功」という勲章を手に、彼は凱旋帰国する。
10年以上もの間、香港で身を粉にしてアクションの仕事をこなしたのだ。
時には目の前に広がる海を見て、あの向こうに日本の家族がいるのだと涙を流したこともある。
時には観光客で混み合うビクトリアピークから、100万ドルの夜景を眺めては、日本の歌を口ずさんで自らをなぐさめたこともある。
「苦節」という言葉があるが、まさに苦労の連続の10年だった。
しかし今ではすべてが、宝石のごとく輝やく想い出だ。
心細い日々を支えたのは、香港の家族であり映画仲間であり、そして香港映画の面白さ!
それがあったからこそ、ここまで来られた。
彼にとって、香港映画は単なるエンターテインメントではなく、人生のすべてだ。
『だからこそ、日本にもっと、香港映画を紹介したい!』
その想いから、37才になった1985年には香港現地法人「染野企業電影工作室」を設立し、多くの作品の配給や紹介、輸入にたずさわり、たとえば「霊幻道士(れいげんどうし)」キョンシーブームの立役者にもなった。
近年も映画の配給や提供で力量を発揮し、カンフーファンには外せない「イップマン」シリーズにも関わっている。イップマンとは、ブルース・リーのカンフーの師匠だ。また、テレビドラマの「孫子<兵法>大伝」は、夢中になって見た人も多いのではないだろうか。
これだけのキャリアがありながら、しかし、ここで終わらないのが映画人・染野行雄だ。
いよいよ、彼自身が長年の夢であった映画製作・プロデュースへの挑戦をおこなう。
しかも、ここでも彼は「日本人初」の伝説を作り上げる。
それはまさに、中国最大の文化である三国志映画を、自らがプロデュースするという夢だ。
あきらめない心・投げださない熱意
三国志とは「魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)」三国の戦いで、日本では歴史で学ぶが、中国人にとってみれば今も日常の話である。
たとえば、蜀の武将、関羽(かんう)は中国全土で神としてまつられ、多くの中国人が関羽の寺「関帝廟(かんていびょう)」を幼少の頃より参拝するし、長じてもビジネスの世界では、三国志にも登場する兵法を基礎とした行動原理や戦略を使いこなす。
それほど重要な三国志を、決して外国人には作らせないという暗黙のルールが中国にはある。
それを知った上で、染野は何度も渡航して交渉を重ねた。
しかし案の定、中国側は、誰もが否定的な対応だ。
ついには製作のためではなく、撮影交渉のためだけに有り金をはたく覚悟を、彼はした。
いよいよ8回目の渡航で、これが最後の交渉だと開き直った染野は、中国映画人の前で想いの丈を吐露する。
「私は世界中のファンに中国の素晴らしい文化である三国志を知ってほしいから、こうして懇願するのです。しかも、私の妻は中国人。中国人にとって私は家族じゃないですか!
中国は、これほどまでに国土が広い国なのに、この国のような広い心を持ってくれないのでしょうか?
失礼を承知のうえでお願いします。どうか、私が三国志を撮影する協力を、ぜひしてほしい。
ここまで言ってもダメだというのなら、私は明日、日本に帰ります。
もう2度と中国の地は踏まないでしょう。」
もちろん実際にはこんなに短い説得ではない。
だが、彼の魂からの懇願に、それまで苦い対応をしていた出席者が全員、拍手喝采で承認をしてくれた。
さらには、彼を慕う香港人からは多額の出資を、そして日本の映画会社も、賛同の出資をしてくれたのだった。
こうして1989年、「三国志 武将列伝(三国志 大いなる飛翔)」が製作された。
壮大なスケールで描いたスペクタクル史劇として本国では人気を博し、96年には「三国志 諸葛孔明伝(赤壁の戦い 軍神孔明)」も製作される。いずれも、日本では2009年に公開された。
この三国志製作のエピソードにこそ、染野が世界に伝えたい熱いメッセージが凝縮されている。
つまり、中学しか卒業していない人間でも、夢を抱いて熱意で行動すれば、不可能と想われた壁でも乗り越えることができる。いや「乗り越える」というよりは「ぶち破る」の表現がふさわしいだろう。
どんなに閉塞的な業界であっても、どんなに高い世界の壁であっても、魂からの熱意で必ずや「ぶち破る」ことができるということを。
世界は一家、人類はみな兄弟
数々のエピソードと伝説を残し、今も映画人として後進を指導する染野。
実は、今回のインタビューは5時間にもわたり、ここでは書き切れなかった逸話の方が多い。
わずか半日、取材をしただけで素晴らしい感動の書籍ができあがるぐらい、彼の人生には驚きと興奮が満ちあふれている。1つ1つの逸話に愛と冒険がこめられていた。1つ1つの逸話で胸が熱くなる。
そのため、これらエピソードをここで「載せない」と判断したのは、とても苦しいことだった。
ただ、掲載した内容だけ読み返しても、染野がいかに外国人として香港で苦労をしたのかが、よくわかる。
だからだろうか、彼には日本人としてのプライドが強くある。
けれど、言葉も通じない世界で戦ってきたからこそ、最後は決して国籍でも氏素性でもなく、最後は「想い」なのだと彼は言う。
『「人類みな兄弟」というのは笹川良一の言葉だけど、本当にそうだと想うよ。
世界中のみんなが家族なんだと想えば、みんな仲良く平和に生きていけるんじゃないかな。』と。
実際に彼は、思いやりの人なのだ。
多忙な国際映画祭の最中に、未熟な筆者のつたないインタビューにも寛容の想いで対応して頂き、さらに、驚くべき遅筆にも励ましの言葉をかけてくれる。
そんな染野だからこそ、彼を慕う人が日本や香港の映画界だけでなく、世界中で後を絶たない。
10代の頃、海上保安官として「人命救助の仕事」を望んだ染野。
願った通り、彼は映画を通して、人の心を温め、魂を救う仕事をしている。
そんな人間に、未熟ながら私もなりたいと願う。
きっと世界が、ほんの少しでも温かくなるだろうから。
(本文中、敬称略。写真は染野行雄氏とインタビューアーさこ。2016年10月)
染野行雄先生の会社の公式サイトはコチラ
染野先生が主演された「大毛見小毛」は、youtubeで検索すれば閲覧できる場合があります。
先生が携わった話題の映画はコチラからご購入いただけます。
タイでは、「アナと雪の女王」を抜き、興行観客動員No1になった人気の映画
「愛しのゴースト」
ブームを巻き起こしたイップマンシリーズ / スターウォーズでも人気のドニー・イェン主演!
フィルモグラフィー
【プロデューサー/製作】
1991年 | 黒色走廊 Black Spot (主)呂小龍(ブルース・レ)、ロー・リエ |
1992年 | 霊幻道士7 ラストアクションキョンシー (主)ラム・チェンイン、リッキー・ホイ |
1983年 | 妖怪道士 (監督)袁和平(ユエン・ウーピン) |
1989年 | 三国志 武将列伝(三国志 大いなる飛翔) 日本公開2009年 |
1996年 | 三国志 諸葛孔明伝(赤壁の戦い 軍神孔明) 日本公開2009年 |
1988年 | 新・桃太郎 (製作1987年) 少女戦士‘88(製作1986年) フィフト・オブ・フューリー復活!ドラゴン怒りの鉄拳/重振精武門 Return of Dragon (主)石天龍 日本公開2002年 |
1999年 | 上海ゴーストストーリー (原案)小学館スーパークエスト文庫 水滸伝 決戦!白龍城/李逵傳奇/Shui Hwu Legend (主)徐錦江、(共)高原圭子 赤壁の戦い~英傑 曹操/一代梟雄‐曹操 (製作)Generation Pandragon 日本公開2009年 |
2002年 | 英雄 国姓爺合戦 |
2005年 | 片腕ドラゴン2005/片腕拳王2005(製作)(主)バクスター・バンビー、カーター・ワン |
【企画】
1989年 | 十面埋伏/A Punch to Revenge (主)ベン・ラム、大島由加利 |
2009年 | カンフーシェフ/功夫廚神 Kung Fu Chefs (主)サモ・ハン、ヴァネス・ウー:F4、加護亞依 |
2010年 | ホーンティング・ラヴァー~血ぬられた恋人たち~/等著你回來 (主)ヴァネス・ウー:F4、加護亞依 |
【プロジェクション・マネージャー】
1987年 | 天使行動/Angel (主)西城秀樹、ムーン・リー |
【アシスタント・アクション監督】
1984年 | 忍者潜龍/Ninjas & Dragons(主)高木淳也 |
【主な出演作】
1968年 | 大女侠/金燕子 Golden Swallow (主)ジミー・ウォング、チェン・ペイペイ、ロー・リエ [役]乗馬スタント 狂戀時/Summer Heat [役]ハンターボーリングチームの一員 |
1969年 | 飛刀手/The Flying Dagger(主)ジミー・ウォング、チェン・ペイペイ、ロー・リエ [役]乗馬スタント 虎膽/Raw Courage (主) チェン・ペイペイ[役]Yan cangの刺客 人頭馬/Dark Rendezvous [役]ゴロツキ 豪俠傳/Killers Five [役]Dukeの護衛 毒龍潭/Dragon Swamp (主) チェン・ペイペイ、ロー・リエ [役]Ding Bao |
1970年 | 十三太保/The Heroic Ones(主)デビッド・チャン、ティ・ロン [役]King Jinのボディガード 五虎屠龍/Brothers Five (主)チェン・ペイペイ、ロー・リエ [役]警備員 女俠賣人頭/Heads for Sale ゴロツキ [役]extra 十二金牌/The Twelve Gold Medalions(武術指導)サモ・ハン 餓狼谷/Valley of the Fangs (主)ロー・リエ [役]兵士 |
1971年 | 六刺客/Six Assassins [役]Extra 來如風/The Swift Knight (主)ロー・リエ [役]Extra 俠士行/The Long Chase [役]士官 Liu Heng 五枝紅杏/Long Road to Freedom (監督)井上梅次 (撮影)西本正 |
1972年 | キングボクサー大逆転/天下第一拳 King Boxer (主)ロー・リエ(役)大島正太郎(日本公開1974年) 十四女英豪/The Fourteen Amazons [役]HSIAの兵士 霹靂拳/The Thunderbolt Fist [役]日本人闘士 群英會/Trilogy of Swordsmanship [役]士官2 仙女下凡/The Human Goddess 香港過客/Stranger in Hong Kong (共)ベティ・ティンペイ [役]車内のゴロツキ 大軍閥/The Warlord (主)マイケル・ホイ [役]日本人兵士 |
1973年 | 賊殺賊/A Tooth for a Tooth 猛漢/The Magnificent Boxer (主)チャールズ・ヒョン、[準主役] 師兄出馬/He Walks Like a Tiger (主)龍子飛(アレックス・ルン/永田晃) [役]Mo Tin(日本人) 人魚戀/Beba,the Mermaid (主)チャールズ・ヒョン 賊王/Death Blow (主)游崇英、龍子飛(アレックス・ルン/永田晃)、魏平澳 [役]Chang Lungの刺客 猛虎下山/Rage of the Wing (主)チェン・シン、倉田保昭、ブルース・リャン [役]小島 黑人物/Black Guide (主)金振八、解元、ジェームス・ナム 過關斬將/Duel of the Dragons 鐡娃/None But the Brave (主)チェン・ペイペイ、宍戸錠、ジェームズ・ティエン、ロー・ウェイ [役]日本人ボディガード |
1974年 | 國術十段/Kung Fu 10th Dan (主) 龍子飛(アレックス・ルン/永田晃)、ハン・インチェ [役]豊島師匠 虎門虎/The Big Risk 蛇群拳・殺人スネーク対飛剣カンフー/蛇妖精/The Evil Snake Girl (主)ローズマリー・ギル[役]ウルフ 国内ではTV放映のみ 一山五虎/Bravest Fist (主)チャーリー・チャン、ディーン・セキ 一網打盡/The Thunder Kick (主)ラリー・リー、 [準主役]賭博場のボス |
1975年 | 賭人頭/Gambling For Head (主)ジェームス・ナム 大毒梟/Tiger Force (主)チェン・シン、チャーリー・チャン 蛇頭人/Bruka Queen of Evil (主)ローズマリー・ギル、龍子飛(アレックス・ルン/永田晃)[役]闘士 夜霧の訪問者(松竹)(主)島田陽子、森田健作 [役]染谷 |
1976年 | 八國聯軍/Boxer Rebellion (主)アレクサンダー・フー・シェン、梁家仁 [役]日本人司令官 撃たれる前に撃て!(松竹) (主)田宮二郎、山本陽子 [役]江龍 生きる人間旅行(テレビ東京/ドキュメンタリーTVシリーズ) 主役 |
1977年 | 小さなスーパーマン ガンバロン/2話「オソロシゴリラの逆襲」(NTV/TVシリーズ) [役]警察官 ザ・リリーズ(特別出演)と共演 |
1979年 | 大教頭興騒娘子/Bruce and the Iron Finger (主)ブルース・リィ(ホー・チョンドー)、ブルース・リャン [役]第二の犠牲者 Gメン‘75/227&228話「Gメン対香港の人食い虎」(TBS、東映/TVシリーズ) [擬斗/スタント/ハン・インチェの声吹替え] |
1981年 | 大毛見小毛/Little Things Means a Lot [主演]大毛松 (共)韓國材 |
1982年 | 龍の忍者/龍乃忍者 Ninja in the Dragon’s Den (主)真田広之、コナン・リー [役]武僧侶 |
1993年 | 死闘伝説TURBO!トップ・ファイター/Top Fighter ドキュメンタリー作品「一網打盡」より、オープニングタイトルに流用 |
2002年 | ブルース・リートリビュートDVD-BOX 特典Discに「蛇群拳(Devil Woman名義)」「國術十段(Dragons Never Die名義)」の予告編収録 |
2003年 | 片腕カンフー対空とぶギロチン:キングレコード版DVD 映像特典:新宿ミラノ座/ギロチンまつり記録映像 |
2005年 | 片腕ドラゴン2005/片腕拳王2005 (主)バクスター・バンビー、カーター・ワン、松田優 [役]格闘技大会役員 忍者潛龍/Ninjas & Dragons:RARE SCOPE 社版DVD 特典映像:インタビュー (広東語) |
2012年 | 李小龍風采一生/the Brilliant life of Bruce Lee ドキュメンタリー作品[役]コメンテーター(日本人で唯一出演) |
2016年 | 永遠のブルース・リー/BRUCE LEE TRIBUTE 日本独自構成作品(ブルース・リートリビュートDVD-BOX 特典ディスクの単体発売版) |
【主な配給/提供】
《劇場映画》
1987年 | ブランドン・リーのファイアードラゴン(提供) |
2004年 | ジャスミンの花開く (製作国:中国) 輸入販売 |
2009年 | 孫文 100年先を見た男 (製作国:中国) 輸入販売 |
2011年 | イップ・マン 序章/葉問 提供 (主)ドニー・イェン イップ・マン 葉問/葉問2 提供 (主)ドニー・イェン |
2012年 | 三国志英傑伝 関羽/関雲長 提供 (主)ドニー・イェン |
2013年 | 李小龍 ブルース・リー マイブラザー 提供 |
2014年 | 愛しのゴースト ザ・テノール 真実の物語 |
《TV作品》
2006年 | 不死鳥の如く (製作国:中国) 輸入販売 |
2009年 | ブルース・リー伝説 (製作国:中国) 輸入販売 (主)ダニー・チャン |
2010年 | 神話 (製作国:中国) 提供 孫子《兵法》大伝 (製作国:中国) 提供 |
2012年 | 恕の人-孔子伝‐(製作国:中国) 提供 ストレンジャーズ6 (製作国:日本.中国.韓国)製作協力 |
2013年 | 曹操 (製作国:中国) 提供 イップ・マン/武林宗師葉問 (製作国:中国) 提供 (主)ケビン・チェン、ユンワー、ブルース・リャン |
【書籍】
2013年 | 現代思想 10月臨時増刊号 総特集ブルース・リー 「ドラゴンがドラゴンを語る!」にコメント寄稿 |
2014年 | ブルース・リーの実像 彼らの語ったヒーローの記憶 インタビュー掲載 (著)ロジャー・ロー |
2016年 | 傑作カンフー映画 ブルーレイコレクション 連載「カンフー映画秘話」 |